ゑり善 大人浴衣ものがたり その2
~前回のあらすじ~
30代になりあらたな趣味として着物をはじめようと思い立った恵理子。着物玄人の母 善子に相談するとまずは浴衣から誂えることを提案され、姉 京子も一緒に祇園祭に行くことに。3人でゑり善を訪れ、各々自分好みの浴衣と巡り合った。
それぞれのトータルコーディネートが完成し、店員が仕立ての確認を始める。
「別途取り付け代がかかりますが、お尻のあたりの引け防止になる居敷当はお付けいたしますか?」
「私はお願いします。衿も広衿でお願いできるかしら?」
「かしこまりました。裏地の衿裏をつけて広衿仕立てにさせていただきますね。」
着物を誂えることに慣れている善子は自分の仕立て方が確立されているのか、すぐさま答える。反対に、お誂えが初めての恵理子の頭にははてなマークが浮かび始めたようだ。
「居敷当?衿??」
「私みたいにお茶をしていると立ったり座ったりする動作が多くてお尻のあたりの生地が引っ張られやすいのよ。それを防止する補強としてつけるのが居敷当ね。」
「奥様の仰る通りでございます。また、浴衣の場合は透け具合を気にされる方もいらっしゃいますので、一枚布をあてることで透け防止の意味を兼ねる方もいらっしゃいます。」
「白地の綿絽だとやっぱり透けますか…?」
京子が不安げに尋ねる。
「実際は中に浴衣スリップをお召しいただきましたら、そこまで心配はございません。本来は縫い目の引きつれを防ぐものですので。」
「私はお茶もしていないし紺地だからつけなくて大丈夫かな。」
悩む京子の隣で恵理子はからっとしている。
「…私はやっぱり心配だからつけてください!」
「かしこまりました。お衿のほうは、お嬢様方はバチ衿でよろしいでしょうか。お着物は基本的にご自身で衿の広さを調整していただける広衿仕立てにさせていただいておりますが、浴衣は衿合わせの簡単な、すでに衿が半分に折られたバチ衿仕立てにさせていただくことが多くございます。」
着やすいほうでお願いします、とふたりとも衿はバチ衿で決定した。
「そういえば、浴衣を着るのに必要なものってなにがありましたっけ?お母さん、家に全部ある?」
思いついたように恵理子が話す。
「あるわよ~。と言いたいところだけど、皆で一斉に着物を着たことがそんなにないから、もしかしたら一緒に着ると足りないものが出てくるかもしれないわね…」
「家族で着物着たのって七五三とかお姉ちゃんの結婚式のときぐらい?」
「私の結婚式のときも恵理子は振袖だったから小物が少し違うものね。」
思い出話が始まり三人が懐かしさを覚えている間に店員が浴衣を着るのに必要な小物類を持ってくる。
「四寸帯を締められる場合は浴衣スリップに腰紐2本、伊達締め1本に帯板がございましたらお召しいただけます。八寸の帯を締めてお太鼓にされる場合は帯枕なども必要ですが…普段からお召しとのことですので奥様はお持ちでしょうか。」
「ええ。私の分はあるのでそのほか足りないものを確認して、必要なものは浴衣が仕立てあがったときにお願いしてもいいかしら?」
善子の隣で京子も家にあるものを思い出そうとしているようで、呟くように話す。
「私も結婚で着物を誂えてもらったときに着付けに必要なものも一緒に持っていったから…浴衣スリップだけお願いします。」
「承知いたしました。それではご明細をご用意いたします。その間こちらにお名前・ご住所・ご連絡先をお書きいただいてもよろしいでしょうか。また、よろしければ簡単なDMですがセールなど展示会のご案内状もお送りさせていただきます。」
小物も含めて一式決定したところで“ご住所承り票”と書かれた紙を店員が差し出し、代表で善子が記入する。
「ご案内状希望します、と。夏ものとかも気になっているのよね。」
ご確認お願いします、と店員が持ってきた明細書を確認し、お支払いを済ませる。クレジットカードも使えるようだ。続いては寸法の確認にうつる。
「奥様はお持ちの長襦袢と合わせてお召しになるとのことですので、袖丈や袖巾を合わせてお仕立てさせていただきたく思います。ご寸法はお分かりでしょうか?」
「いつも仕立ててもらっている着物の寸法の写真がどこかに……あ、あったわ!この寸法でお願いします。」
「承知いたしました。お姉様もお着物をお持ちのようですので、よろしければお預かりしてご寸法を測らせていただきます。下に浴衣スリップを着ていただいて、浴衣としてそのままお召しになる場合は長襦袢のご寸法との兼ね合いなど必要ございませんので、実際のご寸法を測らせていただいてお仕立てをすすめさせていただくことも可能でございます。」
「前に誂えてもらったときから体型も変わっていると思うので、もう一度測っていただいてもいいですか?」
「私も自分の寸法の着物を持っていないので測ってください!」
店員に聞かれる前に恵理子も答える。
「かしこまりました。それではこちらの広いところで失礼いたします。」
そう言って店員はメジャーを取り出し、二人の採寸をはじめた。
身長を聞き、裄と呼ばれる腕の長さ、腰回り、対丈と呼ばれる首の後ろからくるぶしまでを測る。
「袖丈は通常1尺3寸という長さにさせていただいておりますが、妹様はご身長がありますので少し長めの1尺4寸にさせていただくと着姿もより美しくなるかと思います。」
店員の提案に、気に入った反物がこれから自分の寸法で仕立てあがっていくという実感がわいてきたのか、恵理子の声に嬉しさがにじむ。
「本当に自分に合わせた浴衣って感じがしますね。詳しいことはよくわかっていないのでお任せします!」
「それでは、お仕立てあがりましたらこちらのお電話番号にご連絡させていただいてよろしいでしょうか。」
店員の名刺を受け取り、善子はご住所承り票に記入した電話番号を確認する。
「はい。たくさん見せていただきありがとう。」
「今から祇園祭が楽しみになってきた…!」
「次は子どもにも仕立ててあげたいな。今は甚平さんを気に入っているので、もう少し大きくなったらまた見に来ますね。」
いい出会いがあってよかった、と晴れやかな表情で三人は出口へ向かう。
「お仕立ても祇園祭には間に合いますので、どうぞ楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。ありがとうございました。」
お客様を見送った後、店員は仕立ての準備へと取りかかる。
生地に難がないか全体を点検し、寸法を確認して仕立部へ持っていく。
ゑり善での仕立ては浴衣も着物もすべて手縫いで行う。
ミシンが上から一定の強さで生地に針を刺すため丈夫に縫うことができるのに対して、手縫いは生地に合わせて強さを調整できる。ゆとりをもって縫うことができるため、生地が縮んでしまったとしても糸が生地を引っ張っていためてしまうということが防げる。
また、仕立て直しができるのが着物の魅力の一つであるが、手縫いはミシンに比べて縫い穴が小さいため、アイロンをかけたら縫い穴がつまって見えなくなるという。つまり寸法を大きくするときでも縫跡が残らずにすむのだ。生地の端を縫い込む際につく折山や着用により生じた筋などを消す作業は必要になるが、寸法が変わっても美しく着られる着物の秘密の裏側には手縫いの存在もある。
浴衣や、小紋など連続柄の着物は上前や胸に衿や袖など、どの位置にどのような柄を出すか定められているわけではない。どの部分にどんな風に柄をもってきたら着姿が綺麗になるのか店員自身も想像することはあるが、生地の裁ち方から可能かどうかを考え、パズルを組み立てるように綺麗に柄を出しながら仕立ててくれる仕立屋さんの技術には脱帽する思いでいる。
今回ご縁をいただいたお三方が祇園祭でにぎわう街を浴衣姿で優雅に歩く姿を想像し、店員自身も仕立てあがるのを楽しみに待つのだった。
~完~
ゑり善 大人浴衣ものがたり、いかがでしたか?
反物で見たとき、生地をあてたとき、仕立てあがったとき、実際に着たとき。柄の出方やお顔うつりによってそれぞれに印象が変わります。恵理子さんはお納めのときも楽しんでくれそうですね。
お着物は出会いのものだと言いますので善子さんのように直感を大事にするもひとつ、大切なお買い物ですので京子さんのようにご納得のいくまで考え抜いてお決めになるのもひとつと思います。
私たち販売員は、お客様の美しさをさらに引き立てるお着物との縁をつなぐお手伝いができれば、そういう思いでおります。
お納めしたらお着物はお客様の手元へ旅立ってしまうので、毎回着姿を拝見できるわけではないのですが、お召しになった場面や着心地のお話などを伺えたときは安心感とともに嬉しさでいっぱいになります。
ゑり善ってどんなお店なの?
お誂えとは?
今回のお話を通して、そんな疑問が少しでも解消されておりましたら幸いです。
祇園祭など夏のイベントへ向けて、6月頃からだんだんお仕立てが込み合ってまいります。浴衣をお考えのかたはお品数のあるうちにぜひ一度ご覧くださいませ。
手縫いならではのあたたかみのある着心地や、和服の風通しのよさをぜひ実感していただけますと幸いです。
浴衣についてもっと知りたい方は特集ページもぜひご覧くださいませ。
本店営業・久保田真帆