きものを愉しむ

2025/05/08

ゑり善 大人浴衣ものがたり その1

浴衣コーディネート季節を疑いたくなるほどの日差しに汗ばむある初夏の日、唐突に恵理子が言った。
「私も30代に突入したことだし、なにかあたらしいことをしてみたくなってきた。お母さん着物好きだよね?私も着付けでも習ってみようかな…」
娘二人を社会に送り出し、現在は自分時間を楽しむ母善子は目を輝かせる。
「やっと興味を持ってくれたのね!今まで私が着付けてあげるって言っても着ようともしてくれなかったのに…あなたたちときものでお出かけを楽しめる日が来たらいいのにってずっと思ってたわ。」
「いや、でもやっぱり難しそうだしほかの趣味を探そうかな…」
「じゃあ着付けも簡単な浴衣から始めるのはどう?今年の夏は一緒に浴衣で祇園祭に行きましょうよ。お姉ちゃんも一緒に!」
子どもを習い事へと送り出した足で実家に顔を出していた京子に声をかける。
「浴衣か~最後に着たのいつだろう…着物もお嫁入りのときに誂えてもらったくらいだよね?そのときに私も着付け習ったけど、もう全然思い出せないや…」
「着方を思い出すのにも、浴衣はもってこいよ!半巾帯なら気軽に締められるし、長襦袢との衿合わせとかも必要ないから。」
母や姉と浴衣でのお祭りを想像し、やる気が湧いてきたのか恵理子は楽しそうに話す。
「久しぶりに家族でお出かけ、なんかいいね。学生時代に買った、色のたくさん入った既製品の浴衣は持ってるけど、せっかくなら今の自分にあった浴衣が欲しいな。」
「それならこれからみんなで浴衣を見に行きましょうよ。自分の寸法で誂えると着やすいのよ。せっかくだから私も新しく買っちゃおうかしら。」

 

ゑり善 店内

そうして親子はゑり善へと足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ。」
呉服店へ入るのは振袖探しをしたとき以来で、奥まった入口へと足をすすめるごとに緊張の色が見えていた恵理子は、近づいてきた店員に固さの残る声で話し出す。
「浴衣を見たくて。どういうものにしようかは決めていないんですけど…」
「当店では東京の竺仙さんの浴衣を中心にご用意しております。白紺の昔ながらの良さがある浴衣から、着物風にもお召しいただける種類まで様々ございますのでどうぞごゆっくりご覧くださいませ。」
手前にある浴衣の反物が並んだコーナーを案内し、店員は反物を広げ始める。
「まず一番オーソドックスなのがこちらの綿コーマで、続いて絽の生地の綿絽・・・

反物をひろげる様子

「自分用に誂えるのは初めてだし、定番の綿コーマにしようかな。白地か紺地かは迷うな…」
一通り種類の説明を聞いたところで恵理子は方向性を固めたようだ。京子もその言葉にうなずく。
「私もシンプルな感じのほうが好きだし、白紺で探そうかな。」
「私は長襦袢と合わせて着物風にも着たいからこの奥州小紋にしようかしら。」
善子は奥州小紋や綿紅梅絹紅梅、着物風にもおすすめといわれる反物のそろった台のほうから気になるものを手にとっては顔うつりを鏡で確認し、娘そっちのけで早くも自分の浴衣探しに夢中になっている。

白紺の浴衣

「このアザミの柄かわいい!紺地は今まで持ってたのと雰囲気が変わっていいかも。」
朝顔や鉄線など、店員が白紺に絞って出し始めた反物を見ていくなかで、アザミの柄が恵理子の目にとまった。
「ふたりとも決めるのが早いな。私は綿絽も迷ってきました…涼しげに着られそう。」
「よかったらお鏡もありますのでお顔映りもご覧くださいね。」
店員のすすめにより京子は何点か浴衣をあててみる。

反物をあてている様子

「白地のほうがお姉ちゃんの優しい雰囲気が出ていいんじゃない?」
早くも帯を決め、小物選びを始めていた善子が口をはさむ。後ろのほうから姉が反物を当てる様子を眺めていた恵理子も感心したように口を開く。
「顔に当てるとまた印象が変わりますね~。今当てているのも素敵。」
「確かにこの萩の柄は定番だしこの先も着られそう。よし、これにします!」

 

四寸帯

浴衣が決定し、姉妹の帯合わせに突入した。

「帯が違うだけでも雰囲気が変わるんですよ。白は何にでも合いますし、水色はクールな印象になります。このアザミの浴衣はすっと上に向かって描かれている感じがお背の高い妹様によく合いますし、さらに妹様の明るい雰囲気を出すなら暖色系の帯と合わせてもかわいいと思います。」

紺地浴衣と四寸帯

店員が何個か候補を出す。
「薄オレンジかわいい~!桜の柄も入ってて日本らしいですね。私はこれかな!」

「お姉様の浴衣は白地の明るさと、萩のまるっとした形がやわらかい印象を引き立てます。淡いお色の帯で合わされても優しさが続きますし、濃い色と合わせますと浴衣らしいコントラストのあるコーディネートになります。黒も明るい色と相性が良く、引き締まった印象になります。」

白地浴衣と四寸帯

「それぞれ良くて迷うけど…自分の好みに合うのは黒かも。派手すぎなくてちょうどよいと思います。」

「お母さんはどんなコーディネートにしたの?」
ほかの店員の接客も受けながら着々とコーディネートを決めていっていた善子に恵理子が尋ねる。
「奥州小紋に八寸の袋なごや帯を合わせたわ。浴衣に点々と入っている赤色に合わせた帯締めがポイントなの。下駄やバッグも一目惚れしちゃったんだけどなんだかまとまりすぎちゃって、帯上が少し悩むわね…」
「浴衣にあわせていただけるようにカジュアルな帯上もご用意いたしました。パステルカラーで千鳥が飛んでいてちらっと見えるのが可愛らしく、いい差し色にもなると思いますよ。」

奥州小紋コーディネート

「あら!いいわね。これにしましょう。」
店員が合わせた帯上を気に入り、善子が即決していく様子にひとつずつ丁寧に決めていく京子が感心したように呟く。
「お母さんすごい…たくさん持ってるはずなのにトータルコーディネートになってる。」
「いい出会いがあったから。せっかくなら一番素敵な自分でいたいじゃない?自分の好きな、似合うものを身につけてるんだって思うと自然と背筋も伸びるし楽しくなるわよ。」
「じゃあ私たちも全部揃えてもいいよね?下駄とバッグみせてください!」
最初の緊張はどこへやら、恵理子はすっかりお買い物を楽しんでいる。

 

姉妹の下駄とバッグも決まり、コーディネートが完成したかと思いきや、店員がご参考までに、とあるものを持ってくる。

浴衣コーディネートと帯留

「四寸帯や半巾帯は、お太鼓の形で結ぶ八寸などの帯のように、着付けのために帯締めや帯上は必要ありませんが、アクセントとして帯締めや帯留をされるかたもいらっしゃいます。こちらはガラス作家の田上恵美子さんにお作りいただいた帯留で…」
すっと京子の浴衣と帯の上にガラスの帯留をのせる。京子は一目見て気にいった様子をみせる。
「わあ爽やか…!夏らしくて浴衣によく合いますね。」
「透け感のある綿絽の浴衣は『見た目にも涼しく』という日本人が大切にしてきた心を表すものでもあると思いますが、この青の帯留を合わせるとさらに涼しさを演出できます。こういった浴衣はシンプルだからこそ色を足すコーディネートも楽しめると思いますよ。」
京子におすすめされた帯留に恵理子も興味津々だ。
「帯留もかわいい…私のだったらどれが合うかな。」
「帯留をするなら後ろの結び目が目立たない結び方のがいいと思うけど、恵理子は帯結びをかわいくしても似合うと思うわよ~文庫結びとか。後ろにリボンがくる結び方。」
「帯をどう結ぶかによっても変わるんだ…じゃあ私は帯留は次の機会に取っておこう。お母さん帯の結び方教えてね!」

浴衣コーディネート

こうして、三者三様の魅力が引き立つコーディネートが完成した。

つづく…


 

……突然始まった物語に驚かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、いかがでしたか?
なお、この物語は私が考えたフィクションですので、拙文悪しからずお願いいたします。

普段からお着物を楽しまれる方も、なかなかお召しになる機会のない方も、これから着物生活を始められる方も気軽にお召しいただけるのが浴衣。
以前お着物のお誂えの流れをご紹介させていただきましたが、浴衣のお誂えの流れも基本的には同じです。
次回は採寸のうえお仕立てへ。
お誂えをご検討くださっている方へ、少しでも参考になりましたら幸いです。

〈今回の内容と次回予告〉

 

過去のブログでも浴衣の製作の様子染めや生地へのこだわり着心地着姿お手入れなど様々な角度からご紹介しております。

なお、6・7月は特に祇園祭に向けて仕立てが込み合います。
浴衣をご検討されている方はお品物の豊富なうちにぜひ一度ご覧くださいませ。

今回も最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

本店営業・久保田真帆

京都・銀座・名古屋にて呉服の専門店として商いをする「京ごふくゑり善」の代表取締役社長として働く「亀井彬」です。
日本が世界に誇るべき文化である着物の奥深い世界を少しでも多くの方にお伝えできればと思い、日々の仕事を通して感じることを綴っていきます。