きものを愉しむ

2026/05/05

ゑり善 家族で浴衣ものがたり その1

男もの浴衣コーディネート(紺地蟹柄の浴衣、水色の角帯、信玄バッグ)と女の子浴衣コーディネート(白地にパステル貝殻の綿コーマ、ピンクの兵児帯、お子様用下駄)

昼夜の寒暖差もやわらぎ、日が落ちた後も初夏の空気を感じるようになった4月下旬。
子どもを寝かしつけ、家事もひと段落した京子(きょうこ)はダイニングの椅子に腰をかける。
夫の仕事は4月まで繁忙期のため、この月の家事はほとんど京子がこなしている。3歳の娘、椎香(しいか)の通う幼稚園では先週から預かり保育が始まり、自身の勤める会社でも子どもが小学生に上がるまでは時短勤務が認められている。そうした制度のおかげで余裕が戻りつつあったが、自分時間がとれるのはたいてい夜になってからだ。京子は一息ついてテーブルに置いていたスマホを手に取る。届いていたメッセージに返信した後、何気なく開いたInstagramの投稿にふと目が留まった。
「あっ、ゑり善が浴衣の投稿してる!今年の浴衣も綺麗だなあ…」
そう呟きながら京子は昨年の夏に母善子(よしこ)、妹恵理子(えりこ)とともに出かけた祇園祭での様子を思い出す。
母の指南のもと、それぞれに浴衣を着て繰り出した祭囃子で賑わう街並み。帯結びに多少苦戦していたものの着崩れることなく過ごして成功体験を得た恵理子は、その後宣言通りに着付け教室に通い、きものライフを楽しんでいる。今年は夏着物に挑戦したいと言っていた。

ゑり善の投稿写真を最後までスクロールしたところで玄関のドアが開く音がした。
「ただいま。」
残業続きにより最近は子どもが寝静まってから帰宅することも多い夫、陽太(ようた)が帰宅する。
「おかえり。ご飯よそうね。いつも先食べちゃってごめんね。」
「いやいや、用意してくれてありがとう。もうすぐこの残業三昧の日々も終わると思うから、来月の家事は俺頑張るな。」

夫に夕食を出し軽くキッチンまわりを片付けた京子は、仕事で消費したエネルギーを吸い込むように食事をとる夫の向かいに腰かけた。
「ねえ見て、さっきゑり善の浴衣の投稿を見ていたんだけど、こんなかわいいのもあるみたい。」
そういって陽太に見せたのは先ほどスクロールした先に載っていたお子様用浴衣の写真である。白地にピンク系統の色で蝶の柄が染められ、その上にはリボンに形作られた黄色の兵児帯が乗っている。
「これなに?」
今までの人生で和服を着たのは片手で数える程度であろう陽太が不思議そうな顔をして京子を見る。
「浴衣だよ。子ども用の。」
「これが浴衣?生地ってこと?」
「そう、ゑり善では反物って言ってこの生地の状態からお仕立てするの。自分のサイズに合わせてお仕立てしてくれるから昨年誂えた浴衣も着やすかったのよ。」
「へえ…で、これを椎香に?」
「椎香は虫が苦手みたいだからこの柄は選ばないかもしれないけど…この一年で結構背が伸びたから、去年気に入って着てくれてた甚平さん今年はもう着られないだろうし、浴衣を仕立ててあげられたらなって思って。」
「でもお仕立てって高いんじゃないの。今年も新しい甚平買ってあげたらいいじゃん。」
生真面目な陽太は比較的財布の紐も固い。このタイプを説得するにはこのお買い物にいかに価値があるかを伝える必要がある。去年自分の浴衣を誂え、いずれ娘にも…と思ってはいたものの京子も今すぐに考えていたわけではない。けれど早く感じられる娘の成長、可愛らしい浴衣の写真を実際に目にしてはお買い物モードに心が傾いてしまった。
「お母さんが言ってたんだけど、子どもの浴衣は成長してからも長さを出せるように、揚げを取るって言って多めに生地を縫い込むんだって。お洋服や既製品は小さくなったらそこで終わりだけど、そうやって仕立てたものは長いこと着られるよ。」
「長い目で見ればコスパがいいってことか…」
と陽太は考え込むような表情をしながら夕食のおかずを口に入れる。ゆっくりと噛み、それを飲み込んだ後にまた口を開いた。
「まあ、椎香も幼稚園に入ったことだし、祇園祭デビューもいいかもな。お互いの仕事も7月は落ち着いてるし。今度の日曜日は時間を取れると思うから、一緒に見に行ってみようか。」
「ありがとう!楽しみだね。」
最近子どもと顔を合わせる時間が少ないことに陽太も寂しさを感じていたのだろう。京子に説得されたような雰囲気を醸し出しているが、我が子の浴衣姿や楽しむ姿を想像したのだろうか、その眼が緩むのを京子は見逃さなかった。

 

次の日の夕方、洗濯物を取り込み終えたところで、母善子から電話があった。
要件を話した後は雑談が始まるのがこの親子である。
「そういえば今度陽太さんと椎香と一緒にゑり善に行くことになったの。椎香の浴衣を見るつもり。」
「あら、いいわね!去年は私と恵理子が誘っちゃったから椎香ちゃんとお祭りいけなかったものね…」
「去年はまだ小さかったし、預かってくれたお義母さんたちも孫と過ごせて楽しかったって言ってくれたから大丈夫だよ。」
「陽太さんは浴衣着ないの?」
「聞いてみたんだけど自分の分はいいんだって。着方もよく分からないしって言ってた。」
「残念ねえ…男性はおはしょりがない分早く着られるのに。せっかくなら家族そろって浴衣でお出かけしたいわよねえ。京子も今年もまたあの浴衣着るんでしょ?」
「うん、せっかく誂えたんだから着られるときに着ておかないと。」
「いいじゃない。あっそうだ、去年は突然行ったけど、一緒に浴衣を選んでくれた店員さんが私の担当をしているから事前に伝えておいたほうがスムーズかも。娘が行きますって連絡しておくわね。」
昨年ご案内状をお願いしてから善子は時折展示会に顔を出すようになり、着物との出会いを楽しんでいるらしい。

 

店内写真、浴衣が並ぶ様子

よく晴れたお出かけ日和の日曜日、京子は椎香を連れて約一年ぶりにゑり善ののれんをくぐった。
いらっしゃいませ、と店頭にいる店員の声。ありがとうございますお待ちしておりました、と昨年浴衣を見立てた店員が京子のもとへ寄り、挨拶をする。
「すみません主人が急な仕事で遅れていて…」
「構いませんよ。『ゑり善で待ち合わせ』という言葉があるように、待ち人が来るまでの間だけでもお着物をお楽しみいただけましたらと日頃から思っておりますので。今は単衣の着物と夏帯をご用意しておりますので、よろしければ奥の方もご覧くださいませ。」
夫を待つ間季節を先取りした店内を見て回る。呉服屋のもの珍しい雰囲気に好奇心を刺激されたのか、椎香は落ち着きなく店内を見まわしている。突然走り出したりしないように、京子は椎香とつないだ手に力を込めた。
さらっと一通り店内を回ったところで、早足で入ってくる陽太の姿が目に入った。
「すみません鶴崎です…!遅くなりました…」

全員揃ったところでいざ椎香用の浴衣探しである。が、椎香の目線が積みあがっている反物とほぼ同じ高さであることに気づいた店員がとある提案をする。
「このあたりに置いているのがお子様向けの浴衣ですが、よろしければ畳のほうでご覧になりますか?そちらのほうがお嬢様も見やすいように思いますし、先ほど店内をご覧いただいていた際も興味を持たれていたようですので。」
「あっいいですか?しいちゃん、あっちの畳のところで見せてもらおうか。」
繋いだ手を軽く揺らしながら、京子は椎香に話しかける。
「たたみ?」
「さっきのお部屋のとこだよ。お靴脱いであがろうね。」
店員のすすめ通りに畳のほうへ向かおうと体を向けたとき、陽太がある反物に目を留める。
「これ歌舞伎の柄?これも浴衣なんですか?」
「はい、こちらには男性向けの、幅が広い浴衣を置いております。当店にある男性向けの着物は無地のものがほとんどですが、浴衣は江戸好みの粋な柄のものが多いので、着物と違った楽しみ方ができますよ。」
と言って店員が男性用の浴衣をひろげようとする。
「あ、いや、今日は娘のを…」
「せっかくだし見せてもらったらどう?椎香の浴衣は私に任せて。」
陽太が店員を制そうとしたところを京子が遮る。
椎香用の浴衣はほかの販売員が担当し、一旦二手に分かれることになった。

 

男物浴衣 緑の幾何学模様、白地歌舞伎柄、紺地蟹柄

「僕浴衣とか着物とか全然わからないんですけど、本当にこの四角い生地から出来上がっていくんですね。」
「はい、全部で約13mございます。着物は基本的にまっすぐ裁断していくので中途半端な生地もほとんど出ません。先ほどお目に留めていただいた浴衣のように歌舞伎由来の柄も多くございますし、その他幾何学模様や生き物の柄などもございます。」
「へえ、それでこれを帯で結ぶと?」
実際に反物を見たことで興味が湧いたのか、一度興味を持ったものは掘り下げていきたくなる研究者気質の陽太は店員に質問を重ねる。
「はい。帯もシンプルな無地系、浴衣帯の定番博多織にみられる独鈷柄、少し面白い柄のものまで、さまざまございます。」
先ほど広げていっていた反物それぞれに、店員が帯を乗せていく。

男物浴衣の帯合わせ

「おっチェスの柄だ!おもしろー」
「男性の角帯は、目のつまったものは一年中お使いいただけます。浴衣だけなくお着物にも合わせていただけますし、両面お使いいただけるものもございますよ。」
「意外と汎用性高いんですね。でもこうやって見ている分にはいいけど、実際着るのは大変じゃないですか?」
「初めは特に帯結びに難しさを感じる方が多いように思いますが、最近は動画などでも結び方が載っていますので、そこを乗り越えてしまえば案外着やすいものですよ。」
「そういうものなのかなあ…」
「お子様の浴衣デビューも心に残る思い出だと思いますし、その上ご家族皆様で浴衣をお召しになったらその思い出もひとしおですね。」
家族での浴衣姿を想像しているのか、店員の声色もどこか楽しげである。
「…じゃあとりあえず候補を決めて、妻に見てもらうだけ見てもらおうかなと思います。」
「素敵ですね!お召しになったときに浴衣が一番面積を占める部分ですので、まずは反物をお選びになって、その後帯を決められるのがよろしいかと思います。気になる色柄などございますか?」
「んー、歌舞伎の柄も面白いと思ったけど白とかはっきりしたものは派手に感じるな…全体に柄が入ったものも…さっき出してもらったこれが良いように思えてきました。」
そういって生地をつまんだ陽太の手の中にあるのは紺地の蟹柄の反物である。
「ご主人様はお背もありますのでこれぐらいの柄の大きさも着こなしていただけるのではないかと思います。飛び柄で無地場も多く、紺地なので比較的お洋服に近い感覚で挑戦していただけるのも着やすさがあるのではないでしょうか。先ほどはこちらの帯を合わせましたが、帯の色柄を変えるだけでも印象がまた変わってまいりますよ。」
そう言って店員は反物の上にさらに帯を乗せていく。

男物紺地蟹柄浴衣の帯合わせ(クリームと水色)

「ああ、確かに違いますね。…これがいいかな。水っぽくて蟹に合いそう。」
「その連想、素敵ですね!色が合うように、というのはコーディネートをおすすめさせていただくときの基本なのですが、そこに物語性というか、プラスの要素を入れるとより楽しくお召しいただけるのではないかと思います。まわりから見たときも、意図があって合わせたのかな、などイメージが膨らんでいくのはお着物の醍醐味ですよ。」
センスを褒められたような気がして、表情には出さなかったが陽太は少し嬉しくなった。
そこに椎香の接客を手伝っていた店員が兵児帯を戻しに来る。
「それは?」
話しかけた陽太に店員が帯を見せる。

兵児帯

「お子様用の帯です。蝶々結びをしていただいて、可愛らしくお召しいただきます。お嬢様も着々とお選びくださっていますよ。」
自分の帯合わせまで決まったところで、娘の様子を見に行くことにした。

つづく…


さて、今年もやってまいりました浴衣の季節。
当店でも発表させていただいた4月から、早くも多くの方にご覧いただいております。

そして約一年ぶりの浴衣ものがたり。待っていてくださった方がいらっしゃったら嬉しいな、と密かに思っております。
今回は「ゑり善 大人浴衣ものがたり」で登場していただいた京子さんが中心。そのご家族、鶴崎家のお話です。
なおこの物語はフィクションですので、拙文ご容赦くださいませ。
当店では女性用だけでなくお子様用、男性用の浴衣もご用意しております。
ぜひご家族皆様、それぞれのお好みの浴衣とお出会いいただけましたら、そのお手伝いができましたら幸いにございます。

浴衣は例年6月頃からお仕立てが込み合ってまいります。
お越しいただいたそのときが一番お品物のあるときですので、気になられている方、特に祇園祭用にお考えの方はぜひお早めにご検討くださいませ。
売約になってしまっているものもございますが、こちらのホームページの取扱商品ページでも一部浴衣をご紹介しておりますので、どのような雰囲気のものがあるかご覧いただけますと幸いです。

次回は鶴崎家の今回一番の目的、椎香ちゃんの浴衣選びからはじまります。
どうぞ楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

本店営業・久保田真帆

京都・銀座・名古屋にて呉服の専門店として商いをする「京ごふくゑり善」代表取締役社長として働く「亀井彬」と京都で営業として働く「久保田真帆」 二人が日々の仕事を通して感じることを綴っていきます。
日本が世界に誇るべき文化である着物の奥深い世界を少しでも多くの方にお伝えできましたら幸いです。