きものを愉しむ

2026/07/08

絽の小紋(薄グレー地、幾何学模様)に夏のなごや帯(白地、雪輪)コーディネート小千谷縮の生地で水色無地、絽の帯上

とある年の7月16日。恵理子は朝早くから目を覚まし、部屋の空調を入れた。
着物を着るための第一歩である。

 

昨年母の善子、姉の京子とともに浴衣で歩いた祇園祭の街並み。今までも同じ景色のなかを歩いたことはあったものの、普段着ていなかった日本の伝統装束に身を包んでいるからか、初めて足を踏み入れた土地のような特別な感覚があった。
今年、姉の京子は今の家族で祇園祭を楽しむらしい。先月会ったときに主人の陽太さんと娘の椎香ちゃんに浴衣を誂えることになったと、反物を合わせているときの写真を嬉しそうに見せてくれた。
母の善子も遠方から旧友が来るらしく、京都の伝統的なお祭りを楽しんでもらおうと案内に張り切っていた。
一方恵理子はというと、シフト制の仕事でせっかく宵山の日にお休みが取れたというのに、ことごとくまわりと予定が合わなかった。人口密度高まり熱気のあふれる街に繰り出すよりも、ひとり優雅におうち時間を楽しむのも乙ではないかという考えもよぎったが、恵理子は着物が着たかった。

昨年の祇園祭の後、着つけを習い始めた恵理子。はじめは着物に帯に手順を覚えるのが大変で、着物を気軽に着るなど長い道のりになる予感がしていたが、慣れてしまえばこちらのものであった。すっかり着物にはまってしまって、趣味の美術館・博物館巡りをするとき、母の善子と一緒に出かけるときなど、隙あらば着物でのお出かけを楽しんでいる。
せっかく7月になったのだ。夏着物が着られる季節だ。昨年は着付けを習い始めたばかりだったから、まだ夏着物にを袖を通したことはない。自分の夏着物はまだ持っていないが母のがある。少々裄も身丈も短いが、腰ひもの位置を腰骨のあたりに下げればおはしょりの長さは出せるし、自分が楽しむために出かけるだけだから裄も多少短くたって気にしない。せっかくなら新たな季節の着物も楽しみたいではないか。そうなれば祇園祭限定の行きたいお店もある。

 

そう決心したのが2週間ほど前のことである。
着物を着たい!という気持ちは大きくても恵理子にも億劫になってしまうときだってある。
その気持ちがしぼんでしまわないように、着物を着る前日にはしわのばしの意味も兼ねて着物と長襦袢はきものハンガーに吊るしておくようにしている。帯、そのほか着付けに必要なものもその近くに準備しておくのが着物を着る前のルーティーンになっている。そして快適に着替えられるように朝起きたら一番に空調を入れる!というのを決心して恵理子は昨晩床についた。

そうして恵理子は決心通りに起き上がり、そのまま身支度を整えて今に至る。

絽の小紋(薄グレー地、幾何学模様)に夏のなごや帯(白地、雪輪)コーディネート小千谷縮の生地で水色無地、絽の帯上に田上惠美子さんの黒い帯留、水色の三分紐
本日のコーディネートは松のようにも菱のようにも見える、幾何学模様を線で表した絽の小紋に、ざっくりとした織り感がおしゃれな雪輪の柄のなごや帯だ。家にある普段着用の夏着物と夏帯から恵理子なりに組み合わせた。
事前にコーディネートを考え、母の善子に感想を尋ねると「薄グレーの小紋に白地のなごや帯を合わせるのね。私は同系色で合わせることは少ないから比較的新しめの合わせ方って感じがするけど、意外とこういう合わせ方もいいわね。グラデーションみたいに自然に差が出ている感じで素敵。私だったら帯締めと帯揚げは、アクセントにはっきりとした色合いのものを合わせるかな。」と言っていた。

母のアドバイスも取り入れながら小物合わせを考えたが家にあるものではしっくりこなくて、ゑり善へ見に行った。というのは建前でもあり、恵理子には合わせたいと思い浮かぶものがあの店にあった。
昨年、姉の京子のコーディネートに店員がすっと乗せた帯留。鮮やかな色合いと、ガラス自身が存在を証明するかのようなきらきらとしたかわいらしさが恵理子は忘れられなかった。年中使えるものであるが、ガラスの持つ透明感は夏の爽やかさにぴったりだと店員は言っていた。その印象もあって夏物に合わせたいという気持ちが捨てきれなかったようである。
この先自分の着物を誂えたときに一緒に帯留をコーディネートするのも良かったが、いい出会いがあったらそのときに、その場でなくても忘れられなかったらやっぱりお買い物どき、という考えは母親譲りらしい。

ちょうどゑり善を覗いたとき、昨年浴衣を誂えたときに担当となった店員も店頭にいたので着物と帯を組み合わせた写真を見せ、相談しながら帯留と帯上を合わせた。
母と同じようにアクセントとなるように、と言いながら店員が持ってきたのは黒の帯留。単体で見ると色が強いようにも感じたが、着物や帯の白っぽさがうまく吸収してくれている。お店で見たときは写真の上だったが実際に合わせてみてもそう思う。帯留をポイントとして決定した後、店員が持ってきたのは水色の帯上であった。夏の涼やかさを忘れないように、また帯に同じ色が入っているのでまとまりもある、とのことだ。帯留を通す三分紐も帯上のトーンに寄せて合わせることにした。

 

着物を着ると背筋が伸びる気がする。自然と気持ちや顔つきも明るくなる。恵理子は玄関の扉を開け、自身の楽しい気持ちを表すかのような、快晴の日射しの中へ飛び出した。

膳處漢ぽっちりのしみだれ豚まん
最初の目的地へ着いた恵理子。
朝ごはんも兼ねて選んだのは膳處漢ぽっちりのしみだれ豚まん。
前々からチェックはしていたのだが、なかなか足を運ぶタイミングがなかった。昨年前を通ったときにはすでに大行列で買えなかったので今年こそはと意気込んでいたのである。そのために早起きをしたといっても過言ではない。
購入列に並ぶにはオンラインで整理券が必要らしい。準備をしながらその手配はしていたので、受付をして購入列に並んだ。

恵理子の順番が回ってきて、念願の豚まんとのご対面である。
生地全体にたっぷりとたれが塗られているので、大事な着物を汚してしまわないよう細心の注意を払いながら、恵理子は豚まんを口にした。
ぎっしり詰まった具材とあふれ出す肉汁、もちもちとした皮に特製のたれ。それらが合わさる美味しさを、暑さも忘れて堪能する恵理子は外から見ても幸せな顔をしていたであろう。

 

食べ応えのある豚まんを味わった恵理子。しょっぱいものを食べたら甘いものが食べたくなるのがセオリーである。膳處漢ぽっちりから歩いて徒歩3分のところに次の目当てのお店はあった。
永楽屋室町店の水あずき
永楽屋室町店である。
この店舗で、祇園祭の期間限定で販売されている水あずき。
一目散に水あずきの購入列に並ぶ前に、店内を一巡りする。涼みつつ、お菓子を眺める。どれも美味しそうで目移りしそうだ。今度おやつに買おう、などと目星をつけながら入り口近くで売られている本命の甘味へと向かった。
「飲む水ようかん」とも呼ばれているこの飲み物はジュースともゼリードリンクとも表現が異なるような、独特の食感がする。

少し歩いただけでも汗をかいてしまう気温の中、熱々の豚まんをほおばった後に訪れる優しい冷感。水分補給代わりにもなるので一気に飲み切ってしまいそうだったが、少しずつ、小豆の味わいを堪能した。

 

口の中を甘い幸福で満たし、喉も潤した恵理子は一息つく。
次はどんな祇園祭限定メニューのもとへ行こうか。とはいえ今はお腹いっぱいだから鉾を巡りながら祇園祭を楽しんでいこう。この近くの鯉山は後祭の山だからまだ見られないけれど、先ほどの膳處漢ぽっちりの近くは霰天神山がある。それぞれ鉾のところに建つ由緒を見るのも面白い。

そんなことを考えながら次の目的地へ向かって歩き出し、祇園祭を楽しむ恵理子であった。


 

今回も物語形式でお届けいたしました。ここまでお読みいただきありがとうございます。
着物を着るのを目的に、祇園祭へ出かけてくださった恵理子さん。
浴衣から始まったご縁ですが、季節をまたいでもお着物をお楽しみいただき嬉しい限りです。

私も恵理子さんと同じようにしみだれ豚まんと水あずきはいただいたことがあるのですが、祇園祭限定メニューを調べ始めると他にも気になるところばかりで…皆さまのおすすめがありましたらぜひ教えていただけますと嬉しいです。

さて、今回登場した着物と帯のコーディネート。作中では恵理子さんのお家にあったということになっておりますが、実はセールのお品物で合わせたコーディネートでございます。
7月8日から京都本店にて開催しております掘出し市。夏ものや単衣ものもお値打ちになっております。
12日まで開催いたしますので、ぜひこの機会に覗いてみてくださいませ。

例年祇園祭頃が梅雨明けと言われます。
じめっとした雨の日が少なくなるのはありがたいですが、同時に厳しい暑さが訪れますね…
どうぞご自愛のうえ、祇園祭や夏の京都をお楽しみくださいませ。

本店営業・久保田

京都・銀座・名古屋にて呉服の専門店として商いをする「京ごふくゑり善」代表取締役社長として働く「亀井彬」と京都で営業として働く「久保田真帆」 二人が日々の仕事を通して感じることを綴っていきます。
日本が世界に誇るべき文化である着物の奥深い世界を少しでも多くの方にお伝えできましたら幸いです。


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