【友禅楊枝糊】「幻の糊」を三代にわたり追い続ける 山田崇さんに迫る~きものSalon『京のほんまもん』#8~
日増しに秋の気配が濃くなってまいりました。皆様におかれましては健やかにお過ごしのことと存じます。
いつもゑり善のブログ「きものを愉しむ」をご覧いただきまして誠にありがとうございます。ゑり善の主人の亀井彬でございます。
お出掛けの秋、芸術の秋、美食の秋。
昔から秋は特別な時期として捉えられております。
日ごとに気候の変化があり、日も少しずつ短くなるこの季節には、普段よりもわずかな変化に気付きやすくなるのかもしれません。
さて、そんな秋の愉しみの一つが、世界文化社から刊行されている、きもの専門誌『きものSalon』。
月刊誌『家庭画報』の姉妹誌として1980年に創刊され、以来45年以上にわたり、きものの魅力や情報を伝え続けておられ、現在は毎年春と秋に刊行されています。
長年お世話になっていたきものSalonさんとご一緒に連載を始めたのは、2023年春のこと。
きものの仕事をする中で感じるものづくりへのこだわり。
そして細部に宿る熟練の技。
見えない部分、隠れた部分に込められた着物への愛情。
京都を中心としたものづくりにおける「ほんまもん」とは何か。
作り手さんに迫り、ものづくりを時間をかけて追いかけることで、より深く、より具体的に焦点をあてて、お伝えできることはないか。
それがこれからも続く未来に着物を受け継いでいく小さな力になるのではないか。
きものSalonさんがそんな想いに共感してくださり、取材と撮影、そして編集にご協力をしてくださっております。
題して「京ごふくゑり善技を知る 京のほんまもん」でございます。
そんな京のほんまもんの8回目は【友禅楊枝糊】を受け継ぐ【山田崇さん】に迫りました。

(1)幻となった楊枝糊の技法を三代で追い続ける
「楊枝糊」という言葉を聞かれた方は決して多くはないのかもしれません。
それは江戸時代に全盛期を迎えた後、徐々に衰退をした技法であることが大きな要因の一つといえます。
現在、友禅染で防染の糊を置く際には、口金のついた筒から糊を押し出しながら線を描いていく「筒糊」の技法が広く用いられています。
一方、この「楊枝糊」は、筒糊が普及する以前から用いられていた技法です。
山田さんに見せていただいた資料によれば、かつては竹べらのような道具を使って糊を置いていたとのこと。「糊描き」ではなく「糊置き」と呼ぶ言葉にも、そうした仕事の名残が感じられると記されておりました。
やがて染めの技巧が発達し、茶屋辻に見られるような細密な文様も求められるようになる中で、より細かな線で糊を置く技法も発展していきます。口金をつけた筒から糊を押し出す「筒糊」が広まると、友禅染における糊置きの仕事も変化していきました。
楊枝糊は、糊そのものをつくることが難しいうえ、左右の手を同時に使い、糊の状態を見極めながら扱う高い技術が求められます。そうした中、それまで楊枝糊を扱っていた職人の多くが筒糊へと移り、次第にその技は失われていきました。
戦後その技を復興させ、重要無形文化財保持者として認定をされたのが、山田栄一氏。
1900年に京都西陣に生まれた山田栄一氏は、1919年に吉川与三郎のもとで友禅を学び、友禅楊枝糊という技法に出会われます。
その後、独立をされ昭和18年に楊枝糊の研究を始められます。糊の材料を入手することも困難な戦時下を乗り越え、第二次世界大戦後に楊枝糊の製法と糊置技法を完成させられました。
1955年重要無形文化財の「友禅楊枝糊」の保持者に認定されました。しかし、翌年にお亡くなりになります。56歳という、あまりにも早い生涯でした。
その技を受け継いだのが、息子の山田忠夫氏です。忠夫氏は1984年から楊枝糊に取り組まれました。
11歳の頃に父・栄一氏を亡くした忠夫氏にとって、父がどのように楊枝糊をつくっていたのか、細かなことまでは分かりません。
一方で留守中に糊で遊んだ時の記憶や感触、伸び具合の記憶があり、その記憶を頼りに研究をされたとのこと。
現在では栄一氏の孫にあたる山田崇(たかし)さんがその技を受け継ぎ、現代に映えるきものや帯を生み出しておられます。
お父様の忠夫氏はお亡くなりになっておられますが、その当時のお話をお伺いすると、特に詳しくは教わっていないとのこと。
一度は失われた楊枝糊の技法。山田栄一氏も特に苦労をされ、寝ずの番をしていたと、振り返っておられました。特に糊に発生する気泡を消す方法を苦心されたとされています。人間国宝認定の際に、その当時の楊枝糊制作についての記録が文化庁に残っているのですが、他の方がこの通りに製造しても成功しなかったといいます。記録に残された通りにつくっても、同じ糊ができるわけではない。
山田崇さんがおっしゃった言葉が印象に残りました。
結局は「自分の手の動かせる速さに、糊の硬さを合わせること」。
単に「昔の製法を守る」だけではなく、自らの身体の動きと材料を一致させること。
糊だけを完成させればよいのではなく、自らの手の動きに合う糊をつくり、その糊を自らの手で操る。
それは教えられてできることではなく、自分で身に付ける以外には方法はない。
ここに楊枝糊という技の難しさがあるのだと感じております。
(2)自らの手にあう「糊」は丁寧な仕事と試行錯誤から生まれる
今回の取材でも特に印象的だったのが、その糊の制作過程です。三代にわたり、言葉だけで伝えるのではなく、工房に入り、背中を見て、手元を見て、そして自ら試行錯誤することで受け継がれてきた世界がそこにありました。

まず材料としては、もち米と酒米。
米の籾殻を取り除いた後に、石臼をつかって、米をひきます。
うなりのような音が工房の中に響くうち、徐々に音は小さくなり、細かくなったものが出てきます。細かくなったものは、ふるいを使って大きさごとに分けられます。
こうして分けられた粒子は、実際に糊として生地に置いた際の働きにも違いが生まれます。
細かなものは生地の奥へ入り込み、少し大きなものは生地の表面に残る。
このわずかな粒子の違いが、糊の性質や防染力を左右し、やがて柄の表情の違いへとつながっていきます。
もち米と酒米によっても防染力が変わり、米の種類や粒子の違いをブレンドして、ご自身が扱いやすい糊が完成するのです。
お湯に石灰を入れ、時間をかけて湯煎をしていきます。完成した糊は団子状にし、保管できるように工夫されています。
また、お話を通じて伺えたことは、染め上がりの白を左右する材料の「油分」について。
使用する米は契約農家から籾付きで取り寄せ、油分を抜くために10年以上寝かせてから使われるとのこと。
長年をかけて生み出された糊へのこだわり。幻の技法にはなくてはならない材料への試行錯誤が伺えます。

(3)両手で糊を操る「不自由だからこその自由」
このように完成した糊は、表現したい図案によってやわらかさを変えて使われます。のびやかに描きたい場合は、やわらかく。宝尽しなど細かく緻密な柄は少し固くします。
糊を生地に置いていく様もとても衝撃的。
糊を上から落とすだけでは、生地には十分に食い込みません。
そこで山田さんは、左手で生地を持ち上げます。張られた生地がわずかに伸び、その目が開く。その瞬間に、右手で操る糊を食い込ませるように置いていきます。
右手だけでも、左手だけでも成り立たない仕事です。
糊を引く右手と、生地を操る左手。その二つが呼応することで、線は細くも太くもなり、そこに強弱が生まれていきます。
線を止めたいところでは、糊を引くことで自然に切る。その一つひとつの動きが、線の表情をつくっていきます。
山田さんは、この技をこう表現されました。
「不自由だけど、自由な技」



山田さんによれば、昔は棒状のものを加工した道具を「楊枝」と呼ぶことがあったそうです。
祖父である栄一氏の頃から使われているという楊枝も今なお現役。素材は竹でできており、伸子の道具などを削ったり、竹刀の折れたものを使ったなどというお話も。
自分の手に馴染む楊枝を拝見するとそれぞれの個性が見えました。
静かな工房で、生地を持ち上げられる音を聞きながら、長年をかけて生み出された糊が、山田さんの手によって、自由に生き生きと柄に昇華されていきます。
線の太細を、まるで筆で描くように自在に表現できることが、楊枝糊ならではの染め味を生み出しています。
(4)糊の白を引き立てる地染め、立体感を生む刺繍に込められた想い
糊置きを終えた生地は乾燥させ、裏から霧を吹いて糊をさらに生地になじませます。
その後、染料のにじみなどを防ぐための「地入れ」を行い、工房の中で地色を引き染めしていきます。
染め上げた後は、色を定着させる「蒸し」を経て、余分な染料や糊を水で落とす「水元」へと進みます。
そして仕上げにされる刺繍にもこだわりが。
先代の山田忠夫氏の頃からお仕事なさっておられたお母さまの八重子さまが、刺繍による仕上げをなさっておられます。
忠夫さんは、楊枝糊ならではの白い線が刺繍によって消えることを嫌がられたといいます。
楊枝糊の自由でのびやかな線の良さは残して、中心を目立たせるように。
「光線調」とお話しくださった特徴的な刺繍によって、楊枝糊が生み出す白の重厚感と立体感が、さらに引き立てられていきます。
崇さんが生み出す楊枝糊の表情に、ご家族の仕事が重なり、一つの作品へと仕上がっていきます。

(5)ゑり善がお伝えしたい「楊枝糊ならではの美しさ」
ここまで、楊枝糊の歴史と、そこに込められた技やこだわりをご紹介してまいりました。
歴史の中で生まれ、一度は衰退しながらも山田家三代にわたる探究によって、今なお私たちが目にすることのできる楊枝糊のきものや帯。
その魅力は、なんといっても自由で美しい「白」の表現にあるように思います。
一見すると素朴な白い線。しかし近くで目を凝らすと、そこには線の太細があり、勢いがあり、わずかな揺らぎがあります。均一ではないからこそ生まれる味わいが、染め上がった一枚に独特の奥行きを与えています。
そして今回、実際にその仕事を拝見したことで、その白い線の向こうに、糊をつくる長い時間と試行錯誤、右手と左手の絶妙な動き、そして三代にわたって受け継がれてきた仕事があることを知りました。
「不自由だけど、自由な技」。山田さんがおっしゃったこの言葉が、改めて心に残ります。
落ち着いた色使いの中に、力強く、そしてのびやかに浮かび上がる白。帯や小物の取り合わせによってもさまざまな表情を愉しむことができ、長くお召しいただく中で、さらに愛着の深まるお品ではないでしょうか。
ゑり善の店頭でも山田崇さんのお品をご紹介しております。実際のお品をご覧いただく機会がございましたら、ぜひその「白」にも目を凝らしてご覧いただければ幸いです。
さて、京のほんまもんは、これまで8回にわたりお伝えをしてまいりましたが、まだまだ追いかけたい、そして迫ってみたい技や技法がたくさんございます。
現在追いかけているテーマもございますので、ぜひ次回もお愉しみになさってくださいませ。
これまでの「京のほんまもん」についてもブログで残しておりますので、よろしければご覧ください。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
亀井 彬
※本稿の執筆にあたっては、下記の文献・資料を参考にしています。
山田恭子『週刊朝日百科 週刊 人間国宝 工芸技術染織13』朝日新聞社、2007年
岡田譲『人間国宝シリーズ12』 講談社、1981年
![京ごふく ゑり善[創業天正12年]](https://www.erizen.co.jp/wordpress/wp-content/themes/erizen/img/common/logo_pc.png)

