着物と”じっくり”と向き合うひと時~妙顕寺さんでの錦秋会を終えて~

2020年10月13日

2020年10月10日・11日の二日間。
弊社WEBページで告知致しておりました京都本店による秋の特別ご招待の会 「錦秋会」 を無事終えることができました。

妙顕寺

このような状況の中、またお足元が悪い中にも関わらず、お運びくださった皆様に心から感謝申し上げます。

「今年初めてお着物を着ました!」と素敵なお着物姿に素晴らしい笑顔で嬉しそうにお話くださるお方。
「やっぱり着物をこれからもっと着ないとね」とこれから着物を着る決心?をされてお帰りになられたお方。
お嬢様やお孫様と一緒にお出掛けくださり、着物を介したご家族との会話を楽しまれるお方。
妙顕寺さんの心地よい空気を、お庭の傍でじっくりと楽しまれるお方。

ご来場くださった皆様からの温かいお言葉を伺い、素敵な笑顔に触れて、
新型コロナウイルスによる自粛に耐えて、ようやく開催することができた「ありがたみ」を噛みしめておりました。

また同時に、これからも皆様に心から楽しんでいただけるように、
お着物と”じっくり”と向き合っていただける場を、今後も作り上げていきたいとやる気がふつふつと沸いてまいりました。
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双美展のご案内【150回の歩みに想いを馳せて】

2020年08月23日

いつも誠にありがとうございます。
ゑり善の専務取締役の亀井彬です。

本日8月23日からは二十四節季では【処暑(しょしょ)】となります。

日中の暑さに比べると朝夕の涼しい風が心地よく感じる季節。
暑さも峠を過ぎるころ。秋の実りや花の便りも届き始めます。

着物の世界においても、夏のお着物を楽しみつつも、単衣のお着物の準備や、袷のお着物に袖を通す日が待ち遠しい季節ではないでしょうか。

古くから愛され続ける秋草の柄をあしらった帯
実りを祝うような遊び心のある帯、
秋らしい深みのある色に目が留まり、
温かみのある紬の風合いも、これからの季節は恋しくなってまいります。

是非この秋もお着物をより多くの方に楽しんでいただけることを願っております。

そんな中で、弊社の展示会のご案内です。
毎年9月に開催をさせて頂いております秋の新作発表である「双美展」を今年も各店で開催をさせていただきます。
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春爛漫!

2020年03月26日

おはようございます。

いつもブログをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。
ゑり善の専務取締役の亀井彬です。

桜

朝から用事があり、高瀬川の近くを通りました。

本当に見事な桜!

春の陽気に気持ちが明るくなりますね。

さて、本日から4日間、四条の本店では、小物バーゲンを開催します!

こちらも気持ちが明るくなるような会場になっております。
お近くをお通りの際は、是非お気軽にお立ち寄りくださいませ。

春の小物バーゲン

『日本傳統織物集成』から日本の魅力を考える

2020年03月07日

おはようございます。ゑり善の専務取締役の亀井彬です。
三寒四温とは本当によく言ったもので、本格的な春を前に、足踏みをしているような毎日です。
あたたかな陽射しが恋しい朝となりました。

さて、昨日より始まりました「糸くりの詩」で、いかにも温かみを感じる全国の伝統織物が店を華やかにしてくれています。
それぞれの土地の、それぞれの空気を、もった生地と対話する楽しみを感じております。

さて、糸くりの詩の開催に向けて、社内の資料を整理しておりましたら、興味深い資料を発見しました!
それが、『日本傳統織物集成』です。
42年前の昭和50年1月7日に限定750部、発行された資料です。

日本傳統織物集成

各産地の裂地が美しくまとめられた貴重な内容でした。
特に、興味深かったのが、各産地の織物の種類の多さです。
薩摩、肥後、筑後、伊予、土佐、阿波、讃岐、丹羽、大和、近江、加賀、能登、越中、美濃、信濃、越後、伊豆、上野、岩代、羽前、陸奥
これでも一部ですが、本当に全国に特徴のある織物があったことがよくわかります。
裂地は全部で「150種類」に上ります。

日本傳統織物集成

素材に関しては、絹よりも「木綿」が多いのがわかります。
いかに、各地の織物が人々の生活と密接にかかわっていたかを読み取ることができます。

一方で、今も存在している産地はどれだけあるのか。ということが頭によぎります。
少なくとも一般的な流通のルートで私達が見かけることがあるお着物は全体の「3割ほど」
協会や組合が残っている産地でも、なさっておられる工房が1軒のみ、というところもございます。

この40年でいかに、全国の染織文化が衰退してしまったことを実感致します。

糸くりの詩では、こちらの資料も本店においております。
日本が大切にしてきた織物の文化を絶やしてはいけないと強く責任を感じます!

日本傳統織物集成

まずは知っていただくことから。
どうかお気軽にお立ち寄りくださいませ。

幻の花-紅花染に挑み続けて

2020年02月28日

2月も残すところわずかになってまいりました。
いつもブログをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

さて、本日は3月に開催いたします展示会「糸くりの詩」にて特集致します
「紅花染 よねざわ新田 新田源太郎作品展」に関するご紹介です。

紅花

皆様は紅花の歴史をご存じですか。

紅花の原産地はアラビアと考えてられいます。
紀元前2500年頃の古代エジプトのミイラをまいた布は紅花で染められており、古くから地中海沿岸やインドでは染料のための植物として、また薬用の植物として利用されていたといいます。

日本には推古天皇の時代(6世紀~7世紀初め)に朝鮮半島経由で渡来したと考えられておりますが、
奈良県の遺跡からは、大量のベニバナの花粉が出土されており、さらに古い時代から存在したとも考えられています。

「紅」と書いて「くれない」と読みます。これは「呉藍(くれあい)」という発音に由来します。
当時、日本にとって歴史が深く、最も親しみやすい代表的な染料は「藍」でした。
そのことから「藍」という言葉は染料の総称を指すほどだったようです。
呉(中国)から渡来した染料ということで「呉藍」と呼ばれていたと考えられています。

一方で、今回特集させていただく新田さんのご先祖は上杉景勝公と共に、越後から米沢に移り住まれます。

米沢はもとは青苧(麻織物の原料)の栽培が中心で、奈良晒や越後縮の原料として織物の産地に売られていました。
財政難の改革を行ったのが上杉鷹山。家中の女性に織り方を習得させ、麻織物が作られるようになります。
雪がたくさん降る地域、家の中でできる貴重な仕事として適していたのが、機織りだったといいます。
その後、桑の栽培と養蚕が盛んになり、絹織物が中心になってまります。
江戸時代には、武士に対して裃などの生地をつくっていたこともあり、「男物の産地」ともいわれています。

明治時代に入り、それまでの武士に対する商売からの変化が求められる中、
明治17年に、初代、新田留次郎氏が機屋を創業されます。
そのご活躍は「米沢で袴といえば新田」と呼ばれるほど。
ただ、男性もののお着物の需要が少なくなる中で、3代目新田秀次氏が出会われたのが、「紅花」でした。

新田さんと、親子2代で紅花を研究されているお方との出会いがきっかけだったといいます。
そのお方は、新田さんのお嬢様の担任の先生だったというのですから驚きです。

江戸中期には紅花の全国生産量の6割が山形でつくられていたといいますが、
江戸から明治に入って、化学染料が広まっていくなかで紅花は急激に衰退していきます。
戦後はほとんど消滅していて「幻の花」とさえいわれていたといいます。
花がないので、当然染める職人もおられません。

新田さんはご夫婦で、昼間は織物をし、夜な夜な紅花の研究をされていたといいます。
自ら納得のいく色を出すため、寝る間も惜しんで染め続けてこられました。
「厳冬の深夜の作業、糸が染まるより、自分の手の方が真っ赤に晴れ上がったほど」というほど。

こうした努力が実り、昭和41年、第13回日本伝統工芸展に出品された紅花染の手紬「慕情」が入選。
それから、紅花染の美しさが全国に知られるようになっていきます。

こうした努力と手間を惜しまないものづくりへの姿勢は、5代目源太郎氏への受け継がれています。
40歳というお若い新田さん。大変熱心で意欲的な姿勢に、私は業界の後輩として、とても強く心が打たれます。
同じものを織り続けない。日々新しい挑戦をされている新田さんのお話と素晴らしいお着物や帯を是非ご覧になってくださいませ!

皆様のご来場を心からお待ちいたしております。

<参照>
・新田源太郎氏からのご説明より
・『日本の染織18 紅花染 花の生命を染めた布』 泰流社
・真壁仁『紅と藍』(1979年) 
・鶴田榮一『「魏志倭人伝」と色料(顔料・染料)-古代倭国の色料事情について』